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一生懸命ジョギングしても走らない人と長期的な死亡率は変わらない


ジョギングと長期的な死亡率との関係について、先月デンマークのグループにより、 J Am Coll Cardiol 2015; 65: 411-419 に掲載されてました。


結論


・強度にジョギングする人と走らない人において、長期的な死亡率に差はありませんでした。

・一方、軽めのジョギングする人においては死亡率が低下していた。

・最も死亡率が低かったのは週に1~2.4時間走る人で、
 最適頻度は週に2~3回、または週に1回以下。ペースはゆっくり~平均がよい。



ベストは軽めのジョギング、次に中等度のジョギング、そして強度のジョギングは走らない人と変わらないそうです。





軽めのジョギングだと達成感が少ないので、長く走ってしまいそうですね。
by moriken1103 | 2015-03-09 22:55 | 学習コーナー | Trackback | Comments(0)

「渋沢栄一の経営教室 Sクラス」

出張の道中で何か読む本をと書店をぶらぶらしていると、経済学のコーナーでふと1つの本の背表紙に目がとまった。


題名は 「渋沢栄一の経営教室 Sクラス」

なんとなく、手にし、なんとなく買ってしまった。

最近ドラッガーやピケティー、アドラーなど海外の経済学者の本が売れてますが、日本人はどうなんだろうとの興味もあったし?




渋沢栄一、有名なので名前だけは知ってました。
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渋沢栄一(1984-1931) 幕末から明治を生きた、日本の資本主義の父と言われる人です。
農民の出身だが、剣術・学問を学び、一時は倒幕を企てるも断念、訳あって後の15代将軍慶喜に仕えることとなる。主君の慶喜が将軍となったのにともない、パリで開かれた万博博覧会に随員として渡航し、そこでフランスの経済を目の当たりにした。その後もパリにとどまり、さまざまなことを学ぶが、大政奉還とともに帰国。大熊重信に説得され、大蔵省に入省し、日本の新政府のめざましい改革を彼の力で進めた。日本政府の基礎を作ったといってもいいでしょう。銀行という名前も渋沢が作った言葉です。退官後、次々と企業を設立し人材を育て、その数500を超えます。
彼が設立に関わった企業は、第一銀行(現みずほ銀行)、王子製紙、東京ガス、東京海上火災保険、田園都市(現東京急行電鉄)、帝国ホテル、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、東京慈恵会、日本赤十字など、列挙すればきりがありません。
1926年27年のノーベル平和賞の候補にもなってました。ドラッガーが唯一影響を受けた日本人であるとも、


そんな、人物をもう少ししりたいかな!と。





出張からの帰り、空港で飛行機を待つ時間、飛行機の中で前日買った本を読むと、、、


「渋沢栄一の経営教室 Sクラス」は渋沢栄一の人物や業績の解説ではありませんでした。



渋沢栄一が登場するSF小説でした。




「渋沢栄一を崇拝して起業、お金持ちだった父親が事業に失敗して倒産し失踪。

同時に母親に重度の心臓病が発覚し、心臓移植せねば命は持たない。

息子の大河原渋はやむなく有名校を退学し、公立の定時制高校へ編入した。

お金がない、夢もない、やる気もでない、父への恨み、母の病で絶望的な日々。


主人公大河原渋はふとあることをきっかけに、意識を失い・・・気がつくと、

鳥になっていた。  足が三本の八咫烏になっていたのだ。驚

しかも、江戸時代へタイムスリップしていた。八咫烏となって!

そこで、あることをきっかけに17歳の青年と出会い、彼とともに過ごすこととなる。

不思議なことに、彼とだけはお互いの言葉が通じたあえたのだ。


じつは、その青年が17歳、若かりし頃の渋沢栄一であった。


そこから、渋沢栄一が過ごす激動のの時代、8年間を八咫烏としてともに過ごすこととなる。

渋沢栄一から多くのことを学んだ大河原渋は、ついに・・・・」   面白い!!





読むほどに驚き、

偶然「サッカー通り」の看板に引き寄せられ、行き着いたミュージアムで「八咫烏」見た日に読んだSF小説の主人公が八咫烏に変身したときの驚き。

帰り道、湯島で食べた蕎麦屋は江戸末期からの創業なのだが、本を読んでると渋沢栄一はそのすぐ近所に住んでいた。
きっと、彼もここで蕎麦を食したに違いない。


まあ、偶然でもあり、こじつけでもあるのですが、笑







それはおいといて、改めて渋沢栄一という人物に深く感銘しました。



そして、何よりも心を打つ渋沢栄一の考え方、行動力。


「われも富み人も富み、

しこうして国家の進歩発達を助ける富にして

はじめて真正の富と言いうる」






SF小説ですが、人生のバイブルとなりえる本です。


今から何かにチャレンジしようという人や、若者にはぜひ読んでもらいたい本です。

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面白く読みやすいので、あっという間に読んでしまいますよ。



久々、読み終えた後の清々しさに浸れ、そのままもう一度読み返そうと思った本でした・
by moriken1103 | 2015-03-06 22:19 | 学習コーナー | Trackback | Comments(0)

本田圭祐: 自分にとってサッカー選手はウォーミングアップだから

脳科学者、諏訪東京理科大学の篠原菊紀教授によると、遺伝子的にドーパミン第4受容体の遺伝子内塩基の繰り返し数が多いほど「新奇探索傾向」が強く、セロトニンが少ないと「損害回避傾向」が強まるそうです。

ある調査では、「新奇探索傾向」が強いには日本人の7%であるのに対し、アメリカ人は40%。
「損害回避傾向」の強いアメリカ人は40%なのに対し、日本人はなんと98%。

新しいものが好きで冒険を恐れない日本の歴史を作った経営者たちは数パーセントの一人だったのでしょう。

逆に考えると、大部分の日本人はスティーブ・ジョブスになれない。

どちらがいいとは言えません。

こつこつとリスク回避を図りながら、着実に成功へとすすむ道もあります。





最近目を通すことの多い新しい経済メディア「News Pics」


本田選手の面白い記事ですが、まさに彼は新奇探索傾向の典型でしょうね。


成長期のサッカー選手にも見て欲しい、
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記者が空港で、

「今回は本田圭佑の経営論を聞かせてほしい。日本のビジネスパーソンに話しかけるつもりで質問に答えてほしい。どうかな?」と声をかけると、


サングラスをかけた本田の表情が少し緩んだ。


「まずはそっちの話を聞こか」


詳しい内容はこちらから→



下のようなコメントが出てきます。



本田:「前にも言ったと思うけど、自分にとってサッカー選手はウォーミングアップだから。人生のごく一部。だから多くの記者は質問を間違っているのよね。訊くべき質問はドリブルじゃないのよ」


本田:「だって俺が何歳で会社作ったか知ってる? (星稜高校を卒業して)名古屋グランパスにいたときだからね」


本田:「昨日もトレーナーの前川(修毅)さんと話していたんだけど、自分は凡人やから。メッシやロッベンみたいに特別な能力はなくて、人間力だけでここまできた。だから自分が行動することで、多くのサッカー選手に希望を与えられると思う。こんな凡人でも、そこまで行けるんだって。ただし、さっきも少し触れたように、自分の強みというのはわかっていて、それを最大化してきたというのはあるけどね」








新奇探索でも損害回避でも、柔軟な発想で、自身の出来ることに着眼し、創造力を駆使し、行動をすることは大切ですね。
by moriken1103 | 2014-11-27 13:43 | 独り言 | Trackback | Comments(0)

モチベーションビデオ(MV)の効果

モウリーニョ監督も長期、高額契約が多い現在では以前に比べて一試合一試合のモチベーションを保つのが難しいと言ってました。


チェルシーFCが実際に作成したモチベーションビデオです
語りはアルパチーノです。
最後に「チームとして立ち直るか、個人として死に絶えるか」と。苦しんだ2012/2013のもの。





2009年のチャンピオンズリーグ決勝前にFCバルセロナが観たモチベーションビデオです。
ペップ・グアルディオラ監督が地元のTV局に依頼して作成し、マンチェスターユナイテッドとの決勝直前に選手に視聴させたビデオです。
(1分12秒後に始まります)




海外のプロチームが作るモチベーションビデオは、選手たちの心に響くかどうかに主題があるようです。


you tubeで調べると昨今多くのチームが作成しているようですね。






さて、私自身今まで西の台JFC、西中サッカー部、そして今回大分豊府高校サッカー部といくつかのモチベーションビデオを作製してきましたが、少し考察。



まず、一般に薦められるMVの構成は以下の3つの場面よりになります(永尾ら、2010)。

1、選手自身のプレイ映像

2、チームメイトのプレイ映像

3、(円陣や得点後の歓喜の輪などのように、特定の個人に注目していない)チーム全体の映像






予想される心理的効果(Baundra 1986、1997)ですが、

1、self efficancy自己効力感:特定の課題に対して、適切な行動を成功へと遂行できるという予測や確信の程度⇒ひとことで言うと「俺はできる!!!」

2、collective efficancy集団効力感:課題の達成に必要とされる行動を系統立で実行するための能力に対する集団で共有された概念⇒ひとことで言うと「俺たちはやれる!!」

#集団凝集性:集団のメンバー間が引き合う魅力を維持する社会的な力で、集団を分裂させる力に対抗する力である=チームワークを発揮する上で必要不可欠な概念⇒「チームの信頼関係、まとまり」




そしてモチーベンションビデオの場面ごとの心理効果は(永尾雄一ら 2010 年)

1、選手自身のプレイ映像は自己効力感を高める

2、チームメイトのプレイ映像やチーム全体の映像は集団効力感を高める。

3、一方モチベーションビデオは視聴は直接集団凝集性を高めなかった。



え!!集団凝集性には効果がないの??

集団効力感と集団凝集性は円環的な相互作用が指摘されており (Feltz et al., 2007)、研究でモチーベーションビデオが有意に集団凝集性を高めなかったとされてても、集団効力感を高めることにより間接的に集団凝集性を多少は高める可能性はありそうです。
また、モチベーションビデオに何らかの付加価値を与えることにより、さらに集団凝集性への効果が高まる可能性もありえます。




今回、大分豊府高校サッカー部モチーベーションビデオにおいて、合宿のきつかった場面や、決起集会で皆で楽しめた場面を追加することで、集団凝集性への効果へも多少波及することを期待しました。

具体的な効果判定はしていませんが、それらが多少なりとも集団凝集性への働きかけになりはしないかと期待したためです。




平成25年度神奈川県立体育センター研究報告書において「選手のモチベーションアップに関する研究」~選手の心に響くモチベーションビデオの作製方法及び作製のためのフレームの開発と提供~という報告がなされています。
この中で、モチベーションビデオの作成法に言及していますが、ポイントとしては

1、テーマを設定して作成する。確かなテーマを設定するには「今、チームはどのような状態であるのか」「この選手調子はどうなのか」という現状をしっかり「把握している人」の存在が大切

2、選手やチーム全体の普段の頑張りや想いを良く知っている人が作製すること。

3、モチベーションビデオは理解させるものではなく感動させるものである

4、効果は一過性のものであり、視聴効果は8時間以上すると失われる。一番効果的なタイミングは試合直前もしくは1時間前である。

5、そして、とても大切なこととして、「誰が作成するか!」が指摘されている。「私達のOOが、私達のために作ってくれた」その気持が伝わるビデオこそが、選手(視聴者)の「モチベーションアップ」に繋がっていくのであると言えると、まとめられていた。




この、神奈川県立体育センター事業部指導研究課 調査研究班の報告は今からモチベーションビデオを作成する方にはとても参考になると思います。





まあ、見る側は理屈で考えすぎるとよくないんだけど、有効利用しようという意識は大切ですね。



ひとつ反省!!

出来上がると嬉しくて! 「みんな!見て!見て!」と、なってしまうのですが、


公開はここぞ!というタイミングが大切なんでしょうね。
by moriken1103 | 2014-11-11 15:16 | 学習コーナー | Trackback | Comments(0)

郷土の生んだ偉人 『田原淳』

中津へ禅海杯サッカーの遠征時、時間の合間を見て中津市役所へ足を運びました。


目的は、田原淳の銅像を見ること。



あまり知られてはいない大分が生んだノーベル賞に最も近かった偉人「田原淳」のお話です。





田原淳(たわらすなお)1873年7月5日~1952年1月19日

大分県国東安岐町の出身 中嶋家に生まれ淳(すなお)と名付けられました。
子供のころより学問に熱心で近くにすむ医師 三浦大明(三浦医院 院長)の自宅に出入り勉強をしてました。
たまたま三浦医院へ来た中津の田原春塘(たはらしゅんとう)医師の目にこの学問に熱心な淳が目に留まります。
偶然にも田原春塘と中嶋家は親戚でもあり、娘しかいなく、医師としての跡取りのない田原春塘は中嶋家へ出向き、淳を養子として迎えたいことを切望しました。
淳の両親も彼の将来と才能を考えて同意し、淳は田原家への養子となったわけです。
 その後、春塘のすすめで淳は東京へ上京し、東京英語学校、ドイツ学協会学校で語学を学び、東京帝国大学医科大学第一高等学校へ入学、そして東京帝国大学医科大学へと進学した。
卒業後、中津の医院で父とともに医師として働きだしたのですが、淳の学問へのさらなる探究心そしてドイツへの留学の気持ちは高まるばかりでした。
そんな胸中を察した義父春塘は田畑を売り払い淳の留学資金として提供したのでした。
 明治36年。田原はドイツのベルリン大学へ旅立ちました。
ベルリン大学で臨床研修をしていた淳は次第に物足りなさを感じていくのでした。
私はドイツへ臨床の研修にきたのではないと。益々学問の追及に憧れていくのでした。そんなとき、友人の紹介でマールブルク大学のアショフ教授の存在を知るのでした。
彼のもとでなら、自分の期待できる勉強ができるに違いないと、熱烈な手紙をショフ教授へ送ったのです。その手紙に心打たれたショフ教授より、招待の手紙が届き、以後淳はアショフ教授のもとで日夜を問わずに研究に励むのでした。
その研究室には深夜に幽霊が出ると噂が立つほど、寝る間を惜しんでの研究でした。
 そこでの2年半の研究で、田原は心臓の中に刺激伝導系という電気の流れる通路が存在することを発見したのでした。
当時世界では心臓の収縮を調節する刺激経路が存在するなどとは誰も気づいていませんでした。
その経路の一つヒス束には「田原の結節」という名前まで付けられました。
心臓の一部に我が郷土が輩出した偉人の名前が付けられているわけです。
 田原はそれをドイツ語で論文にまとめ発表後、明治39年日本へ帰国したのでした。
明治41年淳は京都帝国大学福岡医科大学の病理学教授へ就任した。
その後も研究者、教育者として活躍し、昭和27年亡くなられました。
 一方、田原がドイツへ留学した翌年明治37年に日露戦争が勃発してます。
日本はイギリスと同盟国であり、ドイツとロシアは敵国でありました。
ドイツでの生活は差別の目も向けられ決して平穏なものではありませんでしたが、研究者としての熱心さに次第に周囲より尊敬の眼差しを受けるようになり、アショフの献身的なサポートにより研究を遂行できることができたのです。
また、昭和16年~20年は太平洋戦争でもありました。淳の長男・駿也も医師となったのですが、軍医を志願し昭和17年、31歳の若さで亡くなっております。
 田原の研究論文「哺乳動物心臓の刺激伝導系」はノーベル賞を超えるほどの人類へ大きく寄与した研究でした。
のちに、不整脈やペースメーカーの発達、心電図など、心臓疾患の治療に大きく貢献した第一歩であったわけですから。
しかし、くしくも日露戦争の最中であり、田原の業績は陽の目を浴びることはありませんでした。当然、現代では世界中の誰もがノーベル賞に値すると確信しています。
立派な研究者でありましたが、戦争に翻弄された人生でもあったわけですね。



 これほどの人が郷土、大分にいたわけです。



中津市役所にある「田原淳」の銅像
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著者、島田教授よりいただいた田原の論文の本
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ご興味のある方は「田原淳の生涯」 考古堂 ¥4600
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しかし、このような重厚な本が発行されても、一般の人々とりわけ子供たちに田原淳の名前が知られていかないことも事実でした。

そこで2006年私は島田先生へ子供たちが読める漫画本を作成することを嘆願したのでした。

これほどの郷土の偉人を次世代の子供たちへ伝えなけいけないと。

それには漫画本しかないのではと、


その結果・・・・・梓書院 マンガ「ペースメーカーの父 田原淳」¥700
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大分県内の小中学校の図書館にはおいてあるはずですよ。



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この最後の文面。


「中津市に貸しができたな!!」 って、いい気分で試合に戻りました。



追伸

しかし、なぜ、これほどの業績で田原淳は有名にならなかったのか?

それは、戦争と重なってせいもあるのですが、ある意味田原の人生は順風満帆すぎたのかもしれません。

漫画本を作成するにあたり、その辺が一番苦慮されたようです。
by moriken1103 | 2012-08-21 12:30 | 学習コーナー | Trackback | Comments(0)

鮭の回帰本能   ミクロスコピアより


10年ぐらい前に「ミクロスコピア」って科学雑誌で読んだ記事です。
かなりうる覚えですが・・・



鮭って川で生まれてから海へ旅立ちベーリング海やらぐるっとまわって生まれた川へもどる回帰本能があるのはごぞんじでしょう。


それに関して東日本のどこかの水産試験場が詳細に研究したデータでした。


結論の1つはホルモンがその本能に関係しているというもので、そのホルモンをブロックするGnRh analogを投与すると帰って来れなくなるというものでした。

まあ、この話はちょっと難しいからおいて置いて、


興味があったのは外洋をぐるっとまわったサケが日本が近づくと、当然生まれた川を目指すわけですが、それには産卵という相手あってのものでその時期に間に合わなければいけないわけです。


しかし、遅刻して間に合いそうにない場合、


オスは時間切れになろうとも、体力が尽きて死にそうになりかけても、最後まで生まれた川を目指す傾向があるんだって。



ところが、ところがですよ。

メスのやろう(いや失礼!)奥方のメスさんは間に合わないわ!って思ったら、とりあえず間に合いそうな近くの川へ鞍替えすることが多いんだそうです。



オスとメスのこの違い、面白いですね。



これは志しの問題じゃなくて、動物的にきっとすごく深い意味がある気がしました。




基本的に動物は強いオスが戦いや競争に勝ちメスをパートナーにすることで子孫を残すことができます。

つまり動物界では強いDNAが残り伝えられていくわけです。

その際、競争に負けたオスは敗者となるわけですね。

ところが、もしオスもやっぱこっちの川に行こうとか妥協や卑怯な真似が流行したら、真の勝者が子孫を残す権利を与えられるという図式が壊れちゃうわけです。

弱くても要領のいいもの勝ちってね、強いDNAが受け継がれないことが危惧されます。

強いDNAが減り、戦いに勝てなくなれば、多種にやっつけられて一族は滅ぶかもしれない。

人間みたいに、戦法なんて考える頭ないですからね、



一方、メスは競争以前にお腹にためた卵を産むことが最大の目標です。

そりゃ、ふるさとの川に帰りたいでしょうが、無理して卵産まなかったら元も子もない。

卵生んでも天敵やなんやらで、ちゃんと孵化して育つのは極わずか。

ならば種ととしてはたくさんの卵が必要なわけで、メスの卵は確実に産卵までに持って生きたいわけでしょう。


間に合わなかったり、不慮の事故なんかでその川に行きつかなかったりすると、大量の卵が無駄になり、子孫が絶える可能性まで秘めてます。


お腹の卵は確実に産卵することが使命、
オスは競争にかってパートナーにしてもらうことが目標。

よくできてるな、と思いませんか。




人間は?

いや、考えないほうが幸せかもしれない・・・、

要領だって、りっぱな力だしね、笑。




なんて昔の「ミクロスコピア」の記事を思い出しながら、鮭の燻製で・・・・一杯。
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ちなみにこの「ミクロスコピア」は1984年から2009年まで年4巻発行されました。
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私は1989年ごろから2003年ごろまで定期購読してました。



思い出すに、

「うま味」という概念は現在では当たり前の話ですが、1995年当時ミクロスコピア内で、「うま味は独立した味覚なのか?」との議論が沸き起こりました。

以来、このミクロスコピア内に「うまみフォーラム」なるコーナーが設けられ、議論されてました。

そして、2000年に舌の味蕾(みらい)にある感覚細胞にグルタミン酸受容体が発見されたことで、俄然うま味の実在が認知されたわけです。

このミクロスコピア上でこのフォーラームを読みながら、2000年の発見を科学誌natureで読んだときは感動しましたね。




その他、「雪は天から送られた手紙である」という言葉を残した、世界ではじめて人工雪を作成した中谷宇吉郎の話を始め、様々な科学者たちの記事も大変興味深かった。




現在、このような雑誌が見当たらないのは大変残念ですが、この雑誌とともに過ごした20代後半から30代は好奇心に溢れた楽しい時代でした。


出会えたことに幸運を感じる雑誌です。   「ミクロスコピア」
by moriken1103 | 2011-10-17 22:56 | 学習コーナー | Trackback | Comments(0)

大英博物館

大英博物館

ひたすら楽しくのんびりの日々でしたが、たまには勉強をと大英博物館へ
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世界3大博物館のひとつ、この大英博物館はもとは個人のコレクションだったそうです。
医師ハンス・スローンの収集品が国に寄贈されたのが始まりなのだと。
現在の展示品は膨大な数に及び、1日では見切れないほどです。

そして、なんといっても入場料無料。

そして、写真撮影自由というのがビックリ!ですね。




まずはエジプト・コレクションから

1.ロゼッタ・ストーン The Rosetta Stone BC196年
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1799年にエジプト遠征中だったナポレオン軍が発見した石碑。

有名ですよね。

3種類の文字が刻まれ、上からヒエログラフ(神聖文字)、デモティック(民用文字)、ギリシャ文字で同一内容が記されてます。

フランスのエジプト学者シャンポリオンが解読に成功したことで、エジプト文明の歴史が次々と明らかにされていったのです。

この解読もなかなか上手くいかなかったのですが、石碑内に楕円で囲まれた文字がみられ、この部分がファラオの名前であると気付いたことが解読のきっかけになったそうな!

そして、こちらはロゼッタストーンの裏側(教科書には載りませんので・・・)
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2.ラムセス2世の胸像 Bust of Ramesses the Great   BC1270年頃
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エジプト新王国時代第19王朝ファラオ、ラムセス2世の胸像。
ナポレオンはこの像をどうしても持ち帰りたかったのですが、7.25tもある重さに断念。
右胸の穴はその時の努力の跡と言われてます。
その後1816年にイギリスへと運ばれましたが、その際も大変だったと。




次に、ギリシャ&ローマ・コレクション

3.パルテノン神殿の破風彫刻 Figures from the Pediments of the Parthenon 年代:BC438~432年
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当時の有名建築家であり彫刻家でもあったフェイディアの監修により制作された彫刻群。
パルテノン神殿の東側の破風(屋根の一部)を飾っていたものです。
その精密な彫刻には目を見張るものがあり、当時の美術表現の成熟度を示すものです。


4.ヌルイデス・モニュメント The Nereid Monument  年代:BC390~380年
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リキュアの都クサントス(現在のトルコ南西部)で発見された神殿風の墓廟で、君主アルビナスの功績を称えるために造られたと考えられてます。
正面に飾られている薄い衣をなびかせている女性の像は海の神ネレウスの娘たち。

以前もこのブログ「オリンポスの神々」でも触れたギリシャ神話の世界に飛び込んだような荘厳な光景でした。





メソポタミア地方で発展した都市国家アッシリア(現在のイラク北部)に関するもの
5.人面有翼牡牛像  BC710~705年
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ラマッソスと呼ばれる像で、アッシリアでは守護神としてこの像が呪文に飾られてたそうです。
頭が人間、身体は翅のある牡牛になっており、前から見ると2本足、横から見ると4本足という計5本足の不思議な姿です。
大きさにはびっくり。


南アメリカ、イースター島の石碑でしられるモアイ
6.イースター島の人造彫刻  BC1400年頃
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当時の人々が先祖を祀るためにつくられたと考えられてるそうです。



他、数限りないので我々も断念。
のんびり旅行に根気を忘れ、早々にパブでビール!!

それにしても、これらはBC紀元前の品々。
つまり2000年以上前のコレクションということになります。
チャンスがあれば、紀元前の歴史に想像を巡らせながらゆっくりと数日かけて鑑賞したいものです。
by moriken1103 | 2011-08-20 23:54 | 英国 | Trackback | Comments(0)

筋肉打撲はまず圧迫  (その後の回復を左右します)

打撲したらまずどうする????冷やすだけでいいの?

筋肉の打撲時の対応、初期の基本対応はPRICEです。
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皆さん、安静とアイシング、保護は理解できますよね。

では、圧迫・挙上にはどのような意味があるかをお伝えします。

筋肉を打撲すると内出血を起こすのはよく目にすると思います。

筋肉への打撲の程度がひどいほど、深く広範囲に内出血が発生します。

この内出血が曲者なのです。

内出血が発生した筋肉内では、組織の修復活動つまり細胞の増殖が行なわれます。

この修復活動が過剰になると、つまり細胞増殖が進むと、筋肉が固くなったり、筋肉同士が癒着(くっついたり)します。

その結果、筋肉が伸びにくくなったり、収縮力(機能)が落ちたり、関節の動きが悪くなったりするわけです。

当然、復帰は遅れますよね。
いや、以前のように思うように動かなくなるかも・・・、


これを、防ぐためにはできるだけ局所の内出血量を抑えることです。

では、局所の内出血を抑えるためにはどうすれば?

そうです、まず圧迫です。

局所を強く圧迫することにより、切れている血管からの出血を止め、止血できます。

したがって、筋肉の打撲の場合、アイシングが一番ではなく、まず局所を強く圧迫するのが一番です。

とくに受傷後一時間以内がもっとも重要です。

アイシングのみよりも、多少痛がってもしっかり圧迫することのほうが大切です。


挙上の意味は、心臓より高いところ位置させることで、やはり少しでも出血を少なくするということですね。


そして、もう一つ、損傷した筋肉が固くなって伸びにくくなるのを防ぐために、受傷した部分の筋肉は伸展(伸ばした)状態で保持することが勧められています。
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ただし、靭帯損傷や関節の損傷には無理な伸展はさせないでください。
あくまでも、筋肉の損傷です。


受傷後一時間のこれらの対応が、とても重要で、その後の早期復帰ができるかどうかを左右することとなります。

先ずは圧迫ですよ。




最後に、局所の内出血は最大48時間も続くことがあるそうです。
圧迫は通常1時間程ですので、その後のアイシング、挙上の継続が重要
なこともお分かりかと思います。
当然、この間はマッサージは禁忌です。


リハビリは筋肉の可動域回復に必要で、軽症で2~3日、重症で4~5日経ってから開始です


参考文献:FIFA医学評価研究センター(F-MARC)サッカー医学マニュアル (←クリックで内容閲覧できますよ!)
by moriken1103 | 2011-02-27 20:15 | スポーツ医学 | Trackback | Comments(0)

「駅長驚くなかれ一栄一落これ春秋」   吉野梅園にて

40数年ぶりに吉野梅園へ立ち寄りました。
幼稚園の頃、隣に住んでた同級生、佐藤君の実家に遊びに行って以来!

さすがに景色の記憶は飛んでましたネ、
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脇には懐かしい風景
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残念ですが、まだ見ごろとはいえず、まだまだでしたが、ちらほらと梅の花が咲いてました。
来週末辺りから良さそうですよ、
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「梅」といえば、大宰府天満宮の学問の神様 「菅原道真」ですね、


ではちょっと学習コーナー


菅原道真は平安時代の貴族で、学者・文人・政治家として凄く才能の豊かな人で、醍醐天皇の元、右大臣という要職まで出世しました。

しかし、政治的に対立しライバルであった左大臣・藤原時平との政権と学派の争いから中傷され、福岡の大宰府に左遷されてしまいました。

そして、道真は「早く帰りたいよ~」って思いつめたまま、大宰府で亡くなってしまいました。かわいそうに!

道真の死後、天地異変が多発したことから、「道真の怨念・祟りじゃ~」と騒がれ、これを鎮めるべく天満神社の神として信仰されるようになったわけです。

現在は学問の神として親しまれてますね。

道真が死んで葬られたところが皆が受験前にお参りに行く大宰府天満宮です。



「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

菅原道真が大宰府に左遷されるとき、道真の愛した庭の梅の花に別れを惜しんで詠んだ歌です。

後に庭の梅木が道真を追って大宰府に飛んできた、という「飛梅伝説」があります。




「駅長莫驚時変改 一栄一落是春秋(駅長驚くなかれ 時の変わり改まるを 一栄一落、これ春秋)」 

時が変わり改まるのを驚く事はない。栄えるも朽ちるも春がきて秋へと移り変わるのと同じようなものなのだから、という意味です。

左遷されていく途中で立ち寄った宿駅の駅長の同情に対して答えたものだそうです。





小学校4年の頃、祖父が我が家に来た時に、この漢詩を教えてくれました。

当時、私は「一葉一落 これ春秋」と、思ってました。

みずみずしい水滴(しずく)が葉っぱから落ちる様子を頭に浮かべ、四季の匂いと移り変わりを想像してました。

開口健の「一滴の水滴にも 光と影が映っている」という言葉と重ね合わせて・・、



ところが、

私が成長してから、本当は「一栄一落」だったと知り、なんだか寂しい感情に襲われましたね。



祖父は本当は何を伝えたかったのでしょう・・・、
by moriken1103 | 2011-02-22 15:56 | Trackback | Comments(0)

新聞の紙面構成

大分合同新聞のスポーツ紙面を読んでいて、ふとなんともへんな違和感を感じました。

よ~く見ると、記事が真ん中で上下に分かれているではないか。

そういえば、先日子供たちが学校の宿題で作製した新聞もそうなっていました。


そもそも、新聞の記事は段落で上下に分かれないように流して書くものです。

記事が上下に分断される紙面構成は新聞において「ハラキリ」といって、タブーとされていたものです。
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なんて、小学校6年生のころの担任が学級新聞に命をかけてて、毎日交代で書かされてましたので、



しかし、なんで大分合同新聞がこんなまねをするのか??

って、気になってしかたなく、

中学の同級生の毎日新聞の記者スンギへさっそく連絡しました。


返事は
「モンタが新聞ちゃんと見てくれてうれしいバイ」と。


よくよく聞くと、この「ハラキリ」は今から17年前に毎日新聞がはじめて始めたそうです。

あえて、タブーを破ったのも時代の流れだそうで、電車の中でも読めるようにとの工夫だったそうです。

たしかに電車の中では新聞を広げずに、折りたたんで読むのでそのほうが都合いいですね。

それと、教育現場でも新聞を資料として保存するのに貼り付けやすいからなんだと、

なるほど!!


2~3年前から朝日や読売でも始めたそうで、遅ればせながら大分合同新聞もってとこなんでしょう。

知らなかった。



新聞も今や独自の取材から記事を購入して掲載する時代になってきている。
インターネットに押されて新聞も厳しいのでしょう。

けど、やっぱ報道で正義を感じるのは新聞なんですね。



しかし、「ハラキリ」の紙面構成に聞屋(ブンヤ)のプロ意識を感じられず寂しいと思うのは私だけ?
by moriken1103 | 2011-02-13 13:41 | 学習コーナー | Trackback | Comments(0)