天面山の歴史

以前、にじが丘さんが、「鶴亀算と日本史とキャッチボールを教えるのは父親の役目」とおしゃってましたね。

本来なら本日、天面山登山予定でしたが、中止のためちょっとコーヒーブレークです。

私は小学校5年生の夏休みに自由研究として、戸次川の合戦(大野川合戦)を調べて発表したことがあります。
子供ながらに戸次のお寺で、古文書を調べ祖父に解説してもらったりした内容ですから、けっこうマニアックなお話ですが、父親の役目として、ご紹介!




安土桃山時代、豊臣秀吉や大友宗麟の時代のお話です。

大友家は豊後(大分)を中心に北九州から熊本方面の九州の6国を治める一代権力でした。

一方、薩摩(鹿児島)には島津家があり、両者は九州を自分の手にしたいと争ってました。

ちょうど真ん中の宮崎の耳川で両方が戦いをしたのですが、大分の大友さんが負けてしまいました。

すると、今まで大友に支配されていた肥前・筑前・筑後の領主たちが、大友に反旗をひるがえし、裏切っていきました。

それなれば、鹿児島の島津は九州全体を支配するチャンスとばかりに、少しずつ大分へ攻め込んで来ます。

大友宗麟はやばいって思ったのでしょうね。

時の天下人、皆さんも知る豊臣秀吉に相談に行きました。「あなたの部下になります、だから島津から大友を守ってくれ」と。

秀吉もずっと九州を自分の支配下に置きたいと野心がありました。島津が大友宗麟を滅ぼして強くなれば、怖い敵になるし、自分が九州を支配することも出来なくなる。

ここは、「大友の手助けをして、島津をやっつければ、九州は自分のものだ!」と秀吉は当然考えたのでしょう。大友に手助けを約束。

とりあえず、自分は朝鮮出兵の用事があったので、あとから大分に行くから、まず土佐(高知)の名将、長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)に大分へ手助けに行くように命じました。


そのころ、島津は延岡から大分県内に攻め入り宇目町から戸次へと侵攻してきてました。

天面山から大野川(戸次川)を挟んだ向かい側に利光という部落があり、そこの山の頂上に鶴賀城というりっぱなお城がありまして、この鶴賀城は大野川沿いに敵が攻め込む際の大分への最後の砦だったのです。

攻めてきた島津の兵2万人に対し、鶴賀城の兵・大友の兵隊たちそして高知から助けに来ていた長宗我部元親と息子信親(のぶちか)の兵隊数千人で大野川で戦いとなりました。

大野川の水は血で真っ赤になったそうです。2万人対数千人では勝つわけありません。

秀吉は朝鮮から大分へ向かっていましたが、まだ到着しません。

10日間の戦いに破れ、残った兵隊たちは鶴賀城に立てこもりました。


鶴賀城は山の頂上にあり、周りの崖は険しく、周囲を囲んだ島津は攻め込むことができません。

そうなると、城の中の食料・水が無くなるのを待つ長期戦の作戦となりました(本来、秀吉得意の兵糧攻めというよ)。

利光部落のお寺にあった古文書に書いてたことには、鶴賀城は山の頂上なので、水が無くなってしまった。そこで、城主が千恵をしぼり、敵から見えるところに馬をおいて、皆で馬にお米をかけたそうです。
遠くから見るとそれが水に見えるからと。


  ちなみに、小学校5年の夏休み私はスコップもって、鶴賀城があった山頂を一生懸命掘りました。古文書に、城が陥落する時に焼けた米が出てくると書いていたから。

確かに、黒いつぶつぶが出てきました。私は400年前の焼き米だと、自由研究に発表したのですが、実物だったのかは定かではありません。しかし、ほんとうなら兵士が馬にかけた400年前の米が手のひらの中に合ったわけですから、感動ですね。


そんな努力も報われずお城は陥落してしまいました。悲し!

長宗我部元親の息子信親も大分のために戦った末、戦死。戸次にお墓がありました。

なんとなく、子供心に大分のために戦った英雄に感じましたね。

(大分が四国文化なのも、この応援部隊が発端なのでは、と私は考えてます)

実は、島津はこの戸次の鶴賀城にたどり着く前に、宮崎との県境にある宇目町のお城を陥落させたのですが、このお城の城主は戦う前に大友宗麟を裏切って、島津に寝返ってたのでした。このお城どうぞ!あなたの仲間になります。だから助けて!って。

島津は喜んで降服を受け入れたのですが、そんな武士は信用できないとも考えたのです。

そこで、その宇目町のお城の城主の奥さんを人質としてあづかり、その城主を今回登るはずだった天面山に見張りをつけて軟禁したのです。

このことは、私も知らなかったのですが、天面山の山頂に記されてました。


しばらくたって、秀吉が大軍を率いて到着(古文書には、大分に来たと書いてました)。

豊臣秀吉は大分に来てたんだ!!

秀吉のおかげで、島津は収められ、大友は生き残りました。


最後までお付き合い頂きありがとうございます。
10歳の頃の自由研究内容(しかも記憶)なので、現在言われていることと多少異なるかもしれません。しかし、私はこれが一番の事実だと思ってます。
そして、鶴賀城跡の山頂で掘った400年前の焼き米も本物と信じてます。

今回天面山登山はなくなりましたが、大分の歴史をちょっと紹介です。


ぜひ、機会があれば天面山頂上から360°見渡し、400年前を感じてください。

by moriken1103 | 2009-11-08 11:30 | 独り言 | Trackback | Comments(2)
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Commented by にじが丘 at 2009-11-08 23:21 x
お久しぶりです。
今回のブログ記事、大分の歴史。ありがとうございます。
インフルエンザの流行でとんでもないことになっていますが、試合だけでなく、天面山登山までなくなってしまうとは・・・。
はやく過ぎ去ってほしいものですね。
Commented by moriken1103 at 2009-11-09 07:00
インフルエンザの健康被害を考えると、現在の対応は仕方がないのでしょう。
しかし、次々と青春時代のチャンスを奪われていきかねないことを危惧してます。
私たち、残り時間の少ないオヤジの青春も・・・・・・・・、

憎きインフルエンザめ!
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